ポツダム宣言は「降伏条件を提示した文書」(国務省覚書)だった。
のみならず、当時の政府はさらに、独自の「条件」を提示していた。
それが他でもないーー国体の護持、だった。
これは日本にとって、絶対譲れない条件。
我が国は、ポツダム宣言が「天皇の国家統治の大権を変更するの要求を包含し居らざることの了解の下に」これを受諾すると回答した。
これに対するアメリカ側の応答が、いわゆるバーンズ回答。我が国の条件提示に直接答えず、「日本国政府の確定的形態は…日本国民の自由に表明する意志に依り決定」されるとした。
ずいぶん持って回った言い方だが、要はアメリカは関知しない、日本人に任せると言っているわけで、日本側の条件を受け入れたに等しい。この点については、「降伏条件を提示した」ポツダム宣言を、さらに条件付きで受諾するという日本側の反応に対し、アメリカ側はトルーマン大統領を中心に関係閣僚らで、対応を協議している。
対日融和派のスティムソン陸軍長官と強硬派のバーンズ国務長官が対立し、結局、フォレスタル海軍長官の妥協案が採用された。
ポイントは2つ。
(1)日本側の条件は受け入れる。
(2)国内向けには、アメリカ側の「無条件降伏」の要求は貫徹された、と言い張る。
この線に沿ったのが、さきのバーンズ回答。
だから、バーンズ本人にとっては、決して満足のいく内容ではなかった。
ーーこのように、さきの大戦の終結は、確かに不本意で屈辱的な敗戦ではあったが、決して「無条件降伏」ではなかった(だからこそ、終戦の詔書にも「ここに国体を護持し得て」と明記出来た)。
そのことを、もう一度、確認しておく。
なお、「国体」は日本国憲法の天皇条項によって変更されたと見るべきか否かについて、憲法学者の佐々木惣一氏と倫理学者の和辻哲郎氏の間で論争があった。
私は、帝国憲法の第1条と第4条の理解から(前者は国体法、後者は政体法)、国体の変更を認める必要はない、と考えている。詳しくは、いずれ別の機会に。